「覚悟を決め、はらをくくって」
2008年3月29日 TV コメント (2)↑〜臨んでいる。…と昨日の朝日新聞の夕刊にありました。
ちゃろさんにお知らせいただいて、うちは当然中日新聞なもので…でも何とかかんとか見ることが出来ました。
(ちゃろさん、いつもありがとうございます〜☆)
記事の写真にもう惹き付けられました。
拘置所の金網を隔てて、あちらに鶴瓶さんが驚いた顔でこちらを見てます。
そしてこちらには豊松…。胸に位牌のようにも見える何かを抱きかかえ、それはそれは哀しそうな、絶望的なお顔。
涙が噴き出す一歩手前のような…?
それとも泣きたいのに絶望が深すぎて泣くことも出来ないかのような…?
何とも言えない、胸をギュ〜〜ンと鷲掴みにされるような表情です。
で、その丸刈り姿がなんとも清々しくて、清潔感に溢れてて、まるで死を覚悟した特攻隊の10代の青年のようにみえます。
ザ・サンデーで馬場アナが「坊主になると人間性がすべて出る」みたいに言ってくれてたけど、まさに記者さんが↑タイトルの言葉で著してくれた境地が、この清冽な印象となって現れてるのだろうな、なんてことを感じました。
中居くんの言葉として「ほかの仕事ではどこか、みてくれを意識していたと思うが、そういう意識を捨てて、自分をさらけだすことができている。」とあります。
この前のサムガでも言ってましたね。
この写真の表情も、和賀さんがだんだん壊れていって秀雄にもどっていく時の、哀しみと恐れの表情にも似ていますが、あの時は自分でも言ってた「かっこよく見せなきゃ」という気持ちもあったのかな?確かに陶酔の感もあり、またそこにうっとりドキドキしたものでした。
でも〈貝〉では連行シーンを見てももはやそんな境地を超えてるのが伺われました。
「みてくれ」を捨てて「さらけ出す」役者中居を大スクリーンで見るのは、たしかにまるちゃんさまおっしゃった様に…こわいです。
ついそこに、多分直江先生や和賀さんの面影を求めて「綺麗な」中居さんを期待してしまう自分こそ、はらをくくらなければ…。
福澤監督の言葉「この役は役者役者している人じゃできない。」ってどういう意味でしょう?
役者として場数を踏んでいて、かたちでとらえてスッと自分をそこに当てはめてしまえるプロの役者さんでは現実味や凄みが出せない。そのくらい難しい役…っていう意味なのかな?
むか〜し大好きだった山岸涼子の「アラベスク」っていうバレエ漫画を思い出しました。
ヒロインのノンナは不器用で連続ターンや難しいポーズもなかなか出来ない。でも出来ないからこそ何度でも努力して挑戦して、いつしか求められるより更に上のことが出来ている。
一方の天才少女のライバルは、何でも一度でスッと出来てしまうから、それ以上のものは生まれない。執着もない。
だからノンナこそが真の‘天才’といえる。…そんな場面がありました。
サムガで「自分にとって芝居とはさらけ出さないと出来ないこと」って言った中居くんはまさにノンナタイプなのかな?
そういえば白い影のBBSでも〈ガラスの仮面〉の北島マヤになぞらえた表現がいくつもありました。
読んだことないのですが、多分同じ思いなのかな?って思い出しました。
福澤さん「彼は軽いキャラだが寂しさももっている。」とも言っていますが、その「寂しさ」がどうしようもないくらい出ているこの写真…たったこの一枚で、こんないろんな思いが渦巻いてしまった…(汗)
こんなんで(多分)2時間以上の映画見て、ずっとちゃんと呼吸していられるかしら…??
あ〜どうしよ〜っ!?(って、いきなり焦りが訪れる…)
そう、見る者をすっかり情緒不安定にしてしまうオトコでもありますね、彼は。
**************************
「和賀さん」つながりで、もう少しいいですか?
とある掲示板でも書かれていましたが、中日新聞で連載されていた「ドラマ井戸端」というコーナーが先日最終回となり、その記者の座談会でこれまで4年ちょっとで取り上げたドラマを振り返ってました。
そこである方が「僕は家族の抱擁シーンが鮮やかによみがえります。「砂の器」で罪を犯した息子の手をとる父。〜(以下省略)」と言ってくれてます。
「恋文」での寺尾聡と臨終の妻との場面と「あいのうた」の余命短い玉置浩二と子供達との場面も挙げておられ、その前にまず「砂」を挙げてくれていたのがうれしかったです。
正直「砂」と「家族の抱擁シーン」が最初つながらず、「そうか、あのラストは父と子の抱擁シーンだったんだ」ってあらためて新鮮な思いでその言葉を読みました。
そして、あのラストの和賀さんは、中居くんもう「みてくれ」なんてとうに忘れ去ってた境地だったなぁ…って確信します。
そんで…大丈夫!それでもあんなに綺麗な和賀さんだったもの☆
豊松さんがどんなに悲愴な姿になろうとも、それはますます研ぎ澄まされた美しい豊松さんに違いありませんっ☆☆
(あ〜あ、とことん「みてくれ」がつきまとうレベルの低いファンでした…汗)
***************************
もうひとつ、グチです…。
今夜のサムガ…当地C○Cラジオの番組表で(終)となってますっうっ…うっ…うっ。
先日本家ニッポン放送でお休みだった時でさえこちらではあって「でかしたっ!」って誉めてつかわしたばかりだったのにぃ…ぃ…ぃ…っ。
しかも毎週1時間のフライングで、この1時間の優越感(笑)だけが東海中居会のガス抜き?だったのにぃ…。
〈とくばん〉のウラミに続きこの仕打ち…うっうっうっ。
ただの時間変更〜とかだったら良いのですが…。
(満開の桜も散ってしまうほどの超ガックシ…涙)
ちゃろさんにお知らせいただいて、うちは当然中日新聞なもので…でも何とかかんとか見ることが出来ました。
(ちゃろさん、いつもありがとうございます〜☆)
記事の写真にもう惹き付けられました。
拘置所の金網を隔てて、あちらに鶴瓶さんが驚いた顔でこちらを見てます。
そしてこちらには豊松…。胸に位牌のようにも見える何かを抱きかかえ、それはそれは哀しそうな、絶望的なお顔。
涙が噴き出す一歩手前のような…?
それとも泣きたいのに絶望が深すぎて泣くことも出来ないかのような…?
何とも言えない、胸をギュ〜〜ンと鷲掴みにされるような表情です。
で、その丸刈り姿がなんとも清々しくて、清潔感に溢れてて、まるで死を覚悟した特攻隊の10代の青年のようにみえます。
ザ・サンデーで馬場アナが「坊主になると人間性がすべて出る」みたいに言ってくれてたけど、まさに記者さんが↑タイトルの言葉で著してくれた境地が、この清冽な印象となって現れてるのだろうな、なんてことを感じました。
中居くんの言葉として「ほかの仕事ではどこか、みてくれを意識していたと思うが、そういう意識を捨てて、自分をさらけだすことができている。」とあります。
この前のサムガでも言ってましたね。
この写真の表情も、和賀さんがだんだん壊れていって秀雄にもどっていく時の、哀しみと恐れの表情にも似ていますが、あの時は自分でも言ってた「かっこよく見せなきゃ」という気持ちもあったのかな?確かに陶酔の感もあり、またそこにうっとりドキドキしたものでした。
でも〈貝〉では連行シーンを見てももはやそんな境地を超えてるのが伺われました。
「みてくれ」を捨てて「さらけ出す」役者中居を大スクリーンで見るのは、たしかにまるちゃんさまおっしゃった様に…こわいです。
ついそこに、多分直江先生や和賀さんの面影を求めて「綺麗な」中居さんを期待してしまう自分こそ、はらをくくらなければ…。
福澤監督の言葉「この役は役者役者している人じゃできない。」ってどういう意味でしょう?
役者として場数を踏んでいて、かたちでとらえてスッと自分をそこに当てはめてしまえるプロの役者さんでは現実味や凄みが出せない。そのくらい難しい役…っていう意味なのかな?
むか〜し大好きだった山岸涼子の「アラベスク」っていうバレエ漫画を思い出しました。
ヒロインのノンナは不器用で連続ターンや難しいポーズもなかなか出来ない。でも出来ないからこそ何度でも努力して挑戦して、いつしか求められるより更に上のことが出来ている。
一方の天才少女のライバルは、何でも一度でスッと出来てしまうから、それ以上のものは生まれない。執着もない。
だからノンナこそが真の‘天才’といえる。…そんな場面がありました。
サムガで「自分にとって芝居とはさらけ出さないと出来ないこと」って言った中居くんはまさにノンナタイプなのかな?
そういえば白い影のBBSでも〈ガラスの仮面〉の北島マヤになぞらえた表現がいくつもありました。
読んだことないのですが、多分同じ思いなのかな?って思い出しました。
福澤さん「彼は軽いキャラだが寂しさももっている。」とも言っていますが、その「寂しさ」がどうしようもないくらい出ているこの写真…たったこの一枚で、こんないろんな思いが渦巻いてしまった…(汗)
こんなんで(多分)2時間以上の映画見て、ずっとちゃんと呼吸していられるかしら…??
あ〜どうしよ〜っ!?(って、いきなり焦りが訪れる…)
そう、見る者をすっかり情緒不安定にしてしまうオトコでもありますね、彼は。
**************************
「和賀さん」つながりで、もう少しいいですか?
とある掲示板でも書かれていましたが、中日新聞で連載されていた「ドラマ井戸端」というコーナーが先日最終回となり、その記者の座談会でこれまで4年ちょっとで取り上げたドラマを振り返ってました。
そこである方が「僕は家族の抱擁シーンが鮮やかによみがえります。「砂の器」で罪を犯した息子の手をとる父。〜(以下省略)」と言ってくれてます。
「恋文」での寺尾聡と臨終の妻との場面と「あいのうた」の余命短い玉置浩二と子供達との場面も挙げておられ、その前にまず「砂」を挙げてくれていたのがうれしかったです。
正直「砂」と「家族の抱擁シーン」が最初つながらず、「そうか、あのラストは父と子の抱擁シーンだったんだ」ってあらためて新鮮な思いでその言葉を読みました。
そして、あのラストの和賀さんは、中居くんもう「みてくれ」なんてとうに忘れ去ってた境地だったなぁ…って確信します。
そんで…大丈夫!それでもあんなに綺麗な和賀さんだったもの☆
豊松さんがどんなに悲愴な姿になろうとも、それはますます研ぎ澄まされた美しい豊松さんに違いありませんっ☆☆
(あ〜あ、とことん「みてくれ」がつきまとうレベルの低いファンでした…汗)
***************************
もうひとつ、グチです…。
今夜のサムガ…当地C○Cラジオの番組表で(終)となってますっうっ…うっ…うっ。
先日本家ニッポン放送でお休みだった時でさえこちらではあって「でかしたっ!」って誉めてつかわしたばかりだったのにぃ…ぃ…ぃ…っ。
しかも毎週1時間のフライングで、この1時間の優越感(笑)だけが東海中居会のガス抜き?だったのにぃ…。
〈とくばん〉のウラミに続きこの仕打ち…うっうっうっ。
ただの時間変更〜とかだったら良いのですが…。
(満開の桜も散ってしまうほどの超ガックシ…涙)
コメント
でも大丈夫!
余計なものをそぎ落として、きっと透き通るような美しい豊松さんに違いないから。
きっと役者役者している人は、それだけのプライドもお持ちだろうし、小手先の技術(それが悪いわけではありませんが)
が優先してしまうからでは?
演じることに対して中居くんは、時にははがゆいほど謙虚ですから。
苦手意識があるからこそ、たゆまぬ努力、懸命さ。
それが見る人、彼を選んだ人たちを魅了するのかも。
サムガ残念ですね。
こちらも以前いきなり終わって、それから(30分前倒しで)復活しました。
そうなるかもしれませんし、今はガックシだけど希望は捨てませんように。
いっそ東海中居会の面々で、猛抗議のおハガキを出したら?
やっぱりそうですよね!?研ぎ澄まされた清冽な美しさの豊松さんに逢えますよね!?…雪月花さんの太鼓判付き(!)で安心しました♪
何だかクリ約での「一所懸命歌うことしかできません。」を思い出しました…。
きっと今回も聞かれれば「一所懸命演ずることしかできません。」って言うのでしょうね?
プライドもみてくれも関係ない境地で、この週末も例の究極のお芝居を生きているのでしょうね。
それとサムガ…東海中居会に励ましのお言葉ありがとうございました☆背中を押されて(笑)ひとまずC○Cにお願いメールしてきました♪♪