…言わずと知れた(♪)中居くんパパが遺してくれた家訓ですね。
わたしたち「ファンのコ」(←お言葉に甘えるよ、ひろちゃん(*^^)v)にとっては
聖書マタイ伝よりも聖なるお言葉ね。
(神さま怒らないでねー←ふざけてんのかっ??←違いますーだから怒らないで((^^ゞ)
by全方位小心者。。。

「何を突然??」って思われるかな?
実はこのふってわいた連休読書タイムで
まずは(申し訳ないけど)オフ価格でご購入の2冊を読みましたの。
それが曽野綾子さんの
『「いい人」をやめると楽になる』&
『善人はなぜまわりの人を不幸にするのか』

・・・「何があったの?」って聞かれそうなチョイスですが(^^ゞ
別になにもないんだけど、
日頃なんとなくうっすら感じてることを
著名な小説家さんが文章にしたらどう書いてくれるのかな?って思って。

で、内容は……
てっきりエッセイ集かと思ってたら
今まで曽野さんが発表したあらゆる作品(小説もエッセイも講演録も)からの
「抄出」集だったのね、
だからちょっと肩すかしというか最初違和感でしたが・・・
それでも興味深く読みました。

この方は言うに及ばずのキリスト教信者の方なので
とにかくいつでもどれにでも根底にそれがあるのね。
わたしはぜっんぜんそんな素養はないけど
それでも共感できることがずいぶんあってね、
ずいぶん楽な気持ちになれました。
もしかしたら自分でも自覚せずに、この期に及んで(笑)
「いい人」とか「善人」と思われたい…っていう「色気」が
あったんだろうなーーーってことに気づきました(^^ゞ

とにかく「人からみた自分」や「人からみた家庭」を気にしたり、
「自分はこうなのになぜあの人はこうしないの?」ってイラついたり、
特に息子については「なんで(勉強とか部活とかetc.)やらないの?
やった方が絶対‘得’だし絶対‘将来、楽’なのに~~キィーー!!」とか・・・ね。

うん、息子も家族も含めて自分以外のひとに何かを求めても
ムダだしムリだしイライラするだけなのよね、って。
でも自分の心の持ちようならちょっとしたキッカケで変えられるよね、って。
もうそろそろお年頃(?)だし…
ムダだしムリなことに血道を上げるなんて身も心もモッタイないよね。
「ものさし」をまわりに置かずに自分に置いたらラクチンだよね。

・・・・・なんてことあんなことこんなこと、
いろいろ、ストンと理解できない箇所もあったけど
ストンときたところだけいただいてラクチンになろっと♫


で……とにもかくにもあちらこちらで、
われらが中居くんの影がチラホラ、どころかドッスーーンとね、
思い浮かぶ箇所ばっかりでしたの、驚いた~~
いろいろありすぎて上げられないけど
ひと言でいえば
「僕はあなたの思うとおりの人間です。」っていう
この彼の言葉に集約されるような。。。

「手柄・評価を求めない」こともそう。
友達は少なくていいってところも。
「人を善悪だけで判断しない」ってことも。
彼がざんねん君タイプを好きなところ、、、そこが彼を
「ふくよか」にしてるんだなぁ…ってここはストンときましたし。

あとね、「世間の悪評は願ってもないこと」っていう章があるのね。
多分に逆説的だけどなるほど~~って。
「ピンチはチャンス」も思い出すね。

うん、書ききれないくらいことごとに「中居語録」を思い出したよ。
キリスト教精神を基盤にしてる曽野さんの思考だけど、
そんで中居くんはきっと「オレは仏教徒だよっ!」っていうかも…だけど(笑)
人として何かを成し遂げてて、その分成功に溺れずに
より自戒を重ねるひとたちの思うことって、
いろんな虚栄をそぎ落として共通する思考になるのかも…。


あと、なんといってもタイトルの中居パパの家訓
「求めるな、与えよ」……について、
やっぱりすぐに、言葉的には全く逆の
「求めよ、さらば与えられん」を思いだすよね。
で、これっててっきり
「意欲を持って求めればおのずと道は通ず」みたいな成功論かと思ってたけど、
聖書の解釈では違うのね。
「神様に祈り求めれば、信仰が与えられる」っていう意味で、
「希望が叶えられる」っていう俗世的な「叶う」を約束したものではないのね。

・・・っていうこれは今回たまたま知ったことだからおいといて(?)
曽野さんの本にもどると
「「与える」ということと「与えられる」ということ」っていう章があるのね。
その章で、聖書に「受けるよりは与えるほうが幸いである」っていう言葉があることを知りました。
これは、「受けるしかないみじめな相手より
与えられるだけのチカラがある自分のほうが幸せだ」って意味じゃない…ことはわかるけど、
でも曽野さんはユーモアこめて
「ものをもらったことはよく忘れるけど人に与えたことはしぶとく覚えてて、
 後になっても恩を売りたがる。
 つまり受けるより与えるほうが、人間には大きな幸福をもたらすということ。」
…って書かれてて、「なるほど~人間くさい解釈だけど真実かも」って思いました。
そして「気持ちよくさせてくれた相手に感謝こそすれ見下すなんてありえない」
っていう心持にもつながるのかな?って。

中居パパの「求めるな、与えよ」って
ひたすら自己犠牲の精神に思えて、
でも自分には出来っこないから自分はさておいても
ひろちゃんならそれをもう実践しちゃってるからね、
「損ばっかじゃん、利用されちゃってるじゃん、、、」って
はらはらモヤモヤしちゃってた部分もありましたが・・・

パパは「求めてばかりじゃ品性が貧しくなるよ。
そこからは何も得られないよ。
与えるほうが豊かになれるよ。
それがひろちゃんの‘幸せ’にもなるよ。」っていう。
パパとしての愛情こもった言葉だったのかも……ってね、
ちょっと解釈が変わりました。


・・・以上はホントーに想像でしかないんだけどね、
ほんとのパパの意図はどうだったんだろう…ね。
パパなら「あなたの思った通りの意味でいいよ」って
言ってくれるかな?

そしてひろちゃんは、どう解釈してるのかな?
きっと淡々と「やっぱりそう?
でも今までもそうやってきたから、これからもそうするよ、パパ」
…って思ってる気がします(#^.^#)


というわけで…だから長いってばさ!!凹凹凹
でも、この機会にさてさて本当に、
与えるどころか求めてばかりの自分も
気持ちの持ちようを気軽に変えて
パパさんの精神をちょっとでも持ちたいな♫
でね、中居くんの「ファンの子」の末席の末席に
これからも連ねさせてほしいな・・・
なんてこと思った昼下がりです◎◎◎

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