野田あすかさんの金スマ。
彼女の弾くピアノの音色が
陳腐な表現だけど、透きとおってるように感じる。

まさに「天才」だと思ってた。
「発達障害」という「ハンデ」を負ったがゆえに
別の、彼女の場合は芸術の分野に特化しての「天才」と。

だから、本当に驚いた。
楽譜を読むことが視覚的にも認知的にも本当に難しくて、
あんなに大変な工夫をして過程を経て、
一小節ずつ、一段ずつ、「音」にしてきたなんて。

あの工夫も試行錯誤をかさねてやっとかたちにできたんだろうなぁ。
スマホやエレクトーンの録音機能を利用しながらの緻密な繰り返し。
最初は一音ずつたどたどしい「音」の羅列に聞こえるだけなのに
それが「曲」としてあんなにひとの心を揺さぶるような演奏になるまで、
どれだけ気の遠くなるような努力を繰り返してるんだろう。

「天才」と言えるとしたら、寝食忘れるほどに努力できること。
そのことかもしれないね。

だけどたとえばミスタッチせずに指を動かすという「技術」の面では
どうなんだろう、そこも「努力と才能」の両方なのかな。

いつも思い出すのは(だいぶ以前も書いたけど)
大好きで擦り切れるほど読んだ山岸涼子さんのバレエ漫画「アラベスク」。
主人公のノンナは不器用といわれターンを続けるのも上手くできない。
一方のライバル・「天才」ラーラは難なくできてしまう。
そのことを嘆く(かな?)ノンナに恩師のミロノフ先生が言うのね。

「一度で完璧に踊れるということは恐ろしい。
 完璧に踊れない者は、10回踊るとすれば10回努力する。
 20回踊るとすれば20回努力する。全力で。
 そしていつか、要求した以上の踊りを踊るんだ。」

勝手にだけど、あすかさんもそうやって何十回も何百回も
繰り返しあの迂遠に見えるやり方で練習するうちに
いつしか曲として出来上がり、それが、
苦しんだ「楽譜を読んで弾くこと」以上のプラスアルファを
生み出してるのかもしれないな~、なんてね、思って見てました。
まぁただひたすら「驚いた」のですけど。

ぜーんぜん関係ないけど、むかし中居くんもあるライブの構成の話で
(なんのライブのときかは…忘れた、ごめんなさい(^_^;)
 皆さまはご存じですよね?(^^ゞ(^^ゞ)
「いつか(次の、かも?)ライブで、
 踊って踊って倒れるくらい限界まで踊って
 一度倒れてからのそのあとのダンスを見せたい」みたいなこと
(うろ覚えすぎてごめんなさい凹)
言ってたよね。

神さまからもらった「才能」があるひとほど
それに見合った「努力」をする。
そのことも含めての「才能」とか「天才」なのかもしれないなー
、、、なんてことつらつらと、
野田あすかさんの練習シーンとコンサートのシーンを見ながら
思ってました。

その、あすかさんに驚かされたのは、言葉の力の素晴らしいこと。
幼くたどたどしい口調で語っているけれど
(それも二次障害としての解離性障害のせいからきているとは…
 「自分自身」で居ることを否定され続けてた彼女の防衛本能がゆえ、だったのか。
 もちろんご家族は愛情たっぷりで接していても
 結局は「学校」の場が生活の大部分を占めてしまうから。。。)

前回もだったけど、彼女のそんな口調や仕草を見ると
われらがチョコちゃんを思い出す。
チョコちゃんの場合は実際の「幼さ」からきてたことかもしれないけど。

あんなに弦楽団のひとたちと演奏するのを怖がって、
実際「音が痛い」というほど苦しいチャレンジだったのに、
それを自分自身で乗り越えたあとの涙。
「どんなに頑張っても友だちできなかったのに
 音楽鳴ったら、一気に、気を遣わなくても、
 自分の心を素直に弾いたら、
 こんなに一気に友達が出来るんだって感動した。
 ピアノをやってて本当に良かった。」と
泣きじゃくってたあすかさん。
そのことそのものにも感動したけど
そのことを伝えてくれた言葉のチョイスにもびっくりした。
なんてまっすぐに気持ちが伝わる言葉で語れるんだろうか、って。

自身の曲「哀しみの向こう」を弾くときに
込められた思いを語ったときの言葉にも。
「哀しみがあった時、
 乗り越えようと頑張ることも大切かも知れないけれど、
 その悲しみにどっぷり浸かっていても
 いつかは光が見えてくる。
 そんな希望を込めた曲です。」と。
自分自身の辛い体験から見出せた「光」を
みんなにも伝えたい、希望をもってほしい、というこころからの想いから
創った曲なんだろうね。
だからこそあんなにこころが揺さぶられて涙が出てくるんだろうね。

小窓の中居くんも、何度も感じ入ってる表情を見せてた。
最後のVTR明けでは涙ぐんでるようにも見えた。

最後の最後に、ゲストの先生に
「発達障害を持っているひとイコール 
 特別な才能をもっている、ということではないんですね」って
とても大事な確認をしてくれた。
もちろん野田さんは「特別な才能をもっている」ひと、
ゲストの類くんもそうだと思う。
こうやってメディアに取り上げられる方たちはそうだけど、
「皆がそんな‘選ばれし人達’」みたいに逆差別(?)な礼賛になると
「そうじゃない人たち」は、(わたしなら)落胆して失望してしまうだろう。
それにそんな誤解をした周りの人たちも
「特別な才能」を勝手に当然のように期待して、
そうじゃないときに勝手に落胆するようなことになるかもしれない。
そして「そうじゃない人たち」を「居ない人たち」として無視する。
そのことで、二重三重の「差別」に苦しむひとたちが増えるかもしれない。
「差別」がなくなるようにエールの気持ちで創った番組のせいで。

中居くんは、そのことを危惧したんじゃないかなぁ。
いつも、一方からの視点だけじゃなく両方から見ようとするひと。
そして自らの「MC」という役割を、お飾りじゃなく当事者として引き受け
その立場に誇りと自負と自戒と責任感をもって
役割を果たしてきたひと。
(去年の「音楽の日」の平井堅さんの音トラブルのときの対処を
 いつも、わたしまでなぜか勝手に誇りをもって思い出します(#^.^#))

自分が演じたチョコちゃんは、発達障害じゃないけどハンデを負ってて
彼の場合は確かに「特別な能力のあるひと」だったわけだけど、
でもわたしたちがチョコちゃんが大好きになって
今でも逢いたくてたまらないのは、
その「能力」があるから、じゃないもんね。

焙煎士としてコーヒー店をひらいた15歳の岩野さんのケースも。
野田さんと類くんと岩野くんと、それぞれの
障害を越えた才能の発揮のストーリーに単純に驚いて感動して、
でもそれを超えたいろんなこと、社会のことも学校のことも
理解とか共生とかいうことも、
いろーーーんなことを考えさせられる、
確実にまた、知らなかったことを知ることができてる金スマに、
ホントありがとう、ですね。

で・・・・・中居くん、
ピアノを弾くあすかさんに和賀さまを思いだしたよ~
チョコちゃんもね。
・・・そろそろ「演じて」いただけませんかしら。。。

ジャイさんもウエPも、、、そう思ってるよね?ね??(*^^)v


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